仕事辞めたいサラリーマンのブログ

好きなことしかしたくない

贅沢したいわけじゃない

仕事をしないとどうなるか。

当たり前だが、給与収入がなくなる。

 

では、給与収入がなくなると困るのだろうか。

もし、充分なお金があれば困ることはない。

 

充分なお金とはいくらだろうか。

それは人に依るだろう。

 

大学生の時によく考えていた。

自分に就職なんてできるわけがない。

その頃の自分にとって就職とは、会社が毎月、20万円払うということだった。

20万円という金額がとてつもなく大きなものに思えた。

自分にそんな価値はないと思っていた。

だから就職なんてできるわけがないと思っていた。

 

就職できなくても、どうにか生活しないといけない。

そのためにはどうしたらいいか。

そのとき出した答えは、「お金を使わなければいい」というものだ。

もちろん、全く使わないというわけにはいかない。

できるだけ少なくするということだ。

10万円あればどうにかなると、当時の自分は試算した。

それからは、いかにお金を使わないかを考えた。

大学生の一人暮らしは、その練習としてはうってつけの期間だった。

 

食事は当然、自炊。

昼も弁当を作った。

買い物も、生活圏内でどこでいつ何を買うか決めていた。

余計なものは買わない。

 

意外と苦ではなかった。

限られた中でやりくりをするというのはクリエイティブなことにも感じた。

 

娯楽を全くあきらめたわけではなかった。

好きなアーティストのCDは買ったし、ライブにも足を運んだ。

 

お金を使うことにシビアになったことで、

自分に必要なものとそうでないものがクリアに見えるようになった。

自分に必要な物であれば、お金は使う。

一般的にどうとか、他人から見てどうとかは関係なくなった。

自分の価値観で行動できるようになった。

 

自分は今、40を過ぎたところだが、これは今でも変わらない。

自分の価値観に従って生きている。

生活レベルも20年変わっていないと思う。

不満は何もない。

別に贅沢がしたいわけではないから。

 

一つ、困ることがあるとすれば、生きづらさがあること。

同調圧力が強い社会では、迷惑をかけていなくても、

人と違うというだけで攻撃対象になることがある。

「普通、こうだよね」と言って、多数派を作り、攻撃してくる。

ダメージは受けないのだが、単純に面倒くさい。

「普通」というよくわからないものを気にして、

そこから外れていないことで安心感を得ている人たち。

平均から外れていなければ安心なのだろう。

 

私は平均なんて気にしない。

自分がどうありたいかが大事だと思っている。

もちろん、それぞれの考え方があっていい。

自分を尊重することと、人を尊重すること。

これができない人とは関わりたくない。