仕事辞めたいサラリーマンのブログ

好きなことしかしたくない

仕事を辞めて生きていく方法を教えてください。

 

仕事を辞めて生きていく方法は、個人の状況や目標によって異なるため、一概に教えることはできませんが、以下のポイントを参考にしてください。

1.経済的な自立を確保する
仕事を辞めるということは、収入が途絶えることを意味します。そのため、自分が生活するために必要なお金を稼ぐことが必要です。収入源としては、副業やフリーランスとしての活動、自己資金での起業などが考えられます。また、無職の場合は、社会保障制度や公的支援制度を活用することもできます。

2.自分の能力や趣味を活かす
仕事を辞めることで、自分の時間やエネルギーを自由に使うことができるようになります。この時間やエネルギーを使って、自分の能力や趣味を活かした活動をすることができます。たとえば、趣味を生かしたクリエイティブな仕事や、専門知識を生かしたアドバイザーとしての活動などが考えられます。

3.貯金をしておく
仕事を辞める前に、できるだけ多く貯金しておくことが大切です。仕事を辞めてから、収入が途絶える期間があるかもしれません。その期間に、貯金を使って生活することができます。また、万が一の場合に備えて、緊急時に使える貯蓄も持っておくと安心です。

4.自己投資をする
仕事を辞めた後も、自分を成長させることは重要です。自己投資として、スキルアップのための研究や勉強、セミナーやコミュニティに参加することが挙げられます。また、健康的なライフスタイルを維持することも、自己投資の一環として考えることができます。

 

以上のポイントを参考にしながら、自分に合った生き方を見つけることが大切です。ただし、生活を維持するためには、経済的な自立が必要であることを忘れずに、慎重に計画を立てて行動するようにしましょう。

 

 

 

仕事ができなくなった日

26歳の誕生日を過ぎてすぐ、会社に行けなくなった。

 

朝、起きられずに、午後になっていた。

携帯電話を見ると、何度か会社からの着信があったようだ。

そこへ電話が鳴った。

会社からだった。

寝ぼけた頭で、どう言い訳しようと迷いながら電話に出た。

社長からだった。

 

「今、最寄り駅に着いたから。家に行ってもいいか。」

断るわけにもいかず、承諾した。

 

飲み物などの差し入れと、自分が食べる用のケーキを持って社長が家に来た。

「電話も出ないから、心配したぞ。とりあえず生きててよかった。」

ケーキを食べながら、社長は言った。

「とりあえず、ゆっくり休め。」

そういって帰っていった。

 

 

体調はずっと悪かった。

胃が張っていて、まともな食事をとっていなかった。

 

精神的にも追い詰められていたのかもしれない。

システムエンジニアとして働き始めて3年目だったが、

まるで分らないプロジェクトを一人で任された。

 

会社を出るのは22時は過ぎていた。

あ、もっと遅い人もたくさんいることは知っている。

ただ、自分はあまり体力がなかった。

長時間労働には向いていないのだから、

システムエンジニアには向いていなかったということだろう。

 

毎日、毎日、くたくたになり、休日は午後まで寝る。

何のために生きているのかわからなかった。

 

この辺でもうやめておけ、と体の方がストップをかけてくれたのだと今は思う。

 

とりあえず、しばらくは何も考えずに過ごした。

急に社会との接点を失い、どこか遠くへ放り出されたような気分だった。

 

一番近い感覚は、大学1年の夏休みだった。

初めての一人暮らしで、頻繁に会う友達もいない。

週に一度の家庭教師のバイト以外、人と会うこともなかった。

 

ちょうど季節も夏だった。

10月になれば、大学の夏休みは終わる。

しかし、この体調不良は終わらなかった。

 

10月に入り、高校の同級生から、久しぶりに連絡が来た。

実際に会うのは半年ぶりくらいだった。

自分の状況を話すと、当時まだ歯学部の学生だった友人が、心療内科を勧めてくれた。

無知な私には初めて聞く言葉だった。

 

次の日、さっそく調べてみた。

駅前にクリニックを見つけた。

初診は予約の電話がいるとのことで電話を掛けた。

 

予約当日、クリニックに行くと、テストを受けることになった。

診察ではテストの結果から、「うつ病」と言われた。

合う薬を見つけて、投薬を続ければ必ず良くなるから、と言われた。

傷病手当についても教えてくれた。

自分が何も知らないことを改めて思い知る。

 

蓄えを切り崩すだけの生活だと思っていたが、収入がある。

これは大きな心の支えになった。

通院を始めてからは、少しずつだが気持ちが前を向いていった。

 

順調に回復してきていることを実感していたころ、社長が電話をくれた。

「一旦、けりをつけないか。」

「一旦」とはいうものの、意味するところは分かった。

半年近く待ってくれたわけだから、会社としては責任は果たしたというところだろう。

1月末日を以って無職になった。

 

会社に依存していてはいけないことをはっきりと思い知らされた。

今の自分は世の中で一番弱いと思った。

強くなりたいと思った。

仕事を辞めない理由

私は現在、夫婦二人のみの世帯で暮らしている。

いわゆるDINKsというやつだ。

 

実は二人の資産を合わせると、ぎりぎりFIREを達成している。

そう、もう仕事を辞めることは可能なのだ。

 

辞めたい奴が、辞められるのに辞めないのはなぜか。

 

キャッシュフローが弱いからだ。

仕事以外の収入、不労所得が少なすぎる。

取り崩しばかりではさすがに不安になるだろう。

例えば、不労所得だけで生活費が賄えるなら、今すぐにでも辞めている。

 

仕事そのものには魅力を感じていない。

仕事辞めたいと言っているのだから言わずもがなか。

 

現在の不労所得はは、株の配当金が年間で十数万円ほど。

貸株や、預金金利は数千円にしかならない。

少なくとも、今の十倍は必要だ。

 

収入を得る仕組みを作るために、資金が必要だから、

その資金のために仕事をしている。

だから仕事はまだ辞められない。

 

 

 

 

 

 

仕事をする理由

私が仕事をする理由は、仕事をしなくてよくなるためだ。

つまり、仕事しないために仕事をしている。

 

手取り年収の半分で暮らせるとすれば、1年働けば1年働かなくてよくなる。

年金やら、保険やら考えるとそうもいかないが、話を簡単にするために単純計算。

早く仕事を辞めるために仕事をしているのだ。

 

私は毎日早く帰りたい。

だから、仕事はさっさとやる。

やり直しが嫌だから丁寧にやる。

面倒くさがりだから、効率のいいやり方を探す。

自動化できるものは自動化する。

エクセルのマクロとか。

 

私は早く仕事を辞めたい。

だからお金を貯めたり、お金を増やしたりする工夫をしている。

お金を貯めるには収入を増やすか、支出を減らすしかない。

できるだけ仕事をしたくないから、働いて収入を増やすのは難しい。

だから支出を減らすことに力を入れている。

食事はほとんど自炊。

日用品はまとめて安く買う。

ないと困るものは迷わず買う。

あれば便利かもしれないものは、大抵なくても済むものなので買わない。

 

欲しいものは買う。

ただし、欲しい理由をよく考えることが大切。

本当に自分にとって必要なものなのか。

見栄を張ることほどつまらなく、不要なものはない。

何が自分に必要かを知っておくことが重要。

例えば、私にとって、好きなアーティストのライブのチケット代は、お米代と同じように必要な支出。

削ればいいっていうものではない。

メリハリが大切。

 

増やす工夫も大切。

投資もしている。

生活防衛費は二段階に分けている。

普通預金と、短期の定期預金にしている。

金利が低いこの時代でも、普通預金よりは格段にいい金利で預けられるところはある。

例えば楽天銀行なら、楽天証券の口座を作って連携すれば、金利が100倍になる。

投資はしなくてもいい。連携させるだけでいい。

 

他の口座から移した金額分には特別金利が適用される一か月満期の定期預金もある。

振込手数料の無料回数分を利用して、

一回別の口座に振り込み、すぐに元の口座に戻す。

これで他の口座から移したことになる。

私は毎月この作業をしている。

 

ちょっと調べれば、ちょっといい情報はすぐに見つかる。

今はやりつくした感があるので、何か見つけたい。

贅沢したいわけじゃない

仕事をしないとどうなるか。

当たり前だが、給与収入がなくなる。

 

では、給与収入がなくなると困るのだろうか。

もし、充分なお金があれば困ることはない。

 

充分なお金とはいくらだろうか。

それは人に依るだろう。

 

大学生の時によく考えていた。

自分に就職なんてできるわけがない。

その頃の自分にとって就職とは、会社が毎月、20万円払うということだった。

20万円という金額がとてつもなく大きなものに思えた。

自分にそんな価値はないと思っていた。

だから就職なんてできるわけがないと思っていた。

 

就職できなくても、どうにか生活しないといけない。

そのためにはどうしたらいいか。

そのとき出した答えは、「お金を使わなければいい」というものだ。

もちろん、全く使わないというわけにはいかない。

できるだけ少なくするということだ。

10万円あればどうにかなると、当時の自分は試算した。

それからは、いかにお金を使わないかを考えた。

大学生の一人暮らしは、その練習としてはうってつけの期間だった。

 

食事は当然、自炊。

昼も弁当を作った。

買い物も、生活圏内でどこでいつ何を買うか決めていた。

余計なものは買わない。

 

意外と苦ではなかった。

限られた中でやりくりをするというのはクリエイティブなことにも感じた。

 

娯楽を全くあきらめたわけではなかった。

好きなアーティストのCDは買ったし、ライブにも足を運んだ。

 

お金を使うことにシビアになったことで、

自分に必要なものとそうでないものがクリアに見えるようになった。

自分に必要な物であれば、お金は使う。

一般的にどうとか、他人から見てどうとかは関係なくなった。

自分の価値観で行動できるようになった。

 

自分は今、40を過ぎたところだが、これは今でも変わらない。

自分の価値観に従って生きている。

生活レベルも20年変わっていないと思う。

不満は何もない。

別に贅沢がしたいわけではないから。

 

一つ、困ることがあるとすれば、生きづらさがあること。

同調圧力が強い社会では、迷惑をかけていなくても、

人と違うというだけで攻撃対象になることがある。

「普通、こうだよね」と言って、多数派を作り、攻撃してくる。

ダメージは受けないのだが、単純に面倒くさい。

「普通」というよくわからないものを気にして、

そこから外れていないことで安心感を得ている人たち。

平均から外れていなければ安心なのだろう。

 

私は平均なんて気にしない。

自分がどうありたいかが大事だと思っている。

もちろん、それぞれの考え方があっていい。

自分を尊重することと、人を尊重すること。

これができない人とは関わりたくない。

 

仕事をしないといけない

「仕事を辞めたい」

 

そう思うようになったのはいつからだろう。

仕事を辞めるというのは、FIREを達成することと同義だ。

 

そもそも「仕事をしたい」と思ったことはない。

大学を卒業し、自分で生計を立てないといけない。

それは、「仕事をしないといけない」と同義だった。

だから仕事を始めた。

 

最初の仕事はシステムエンジニア

3年続かなかった。

26になった頃、体を壊した。

診断は「うつ病」だった。

会社は3か月ほどは待ってくれたが、

半ばクビのような形で会社を辞めた。

 

1年あたり100万円以上の貯金ができていたので、

焦りはなかった。

 

学生時代の金銭感覚のまま、

質素倹約が身に付いていたのが大きかった。

 

また、傷病手当金というものの存在を知ることもできた。

収入が途切れないというのは心強かった。

 

療養中も貯金は減るどころか、むしろ増えて行った。

 

ずっとこのままでもいいのに、

というわけにはいかない。

 

傷病手当金が受け取れるのは期限がある。

1年半と決まっている。

 

しかも、再就職のことを考えたら、空白期間は短いほうがいい。

 

「仕事をしないといけない」

27の夏だった。

 

ハローワークで見つけた出版社の求人に応募した。

運が良かったのか、採用してもらった。

 

2社目となる会社に対しては、

「拾ってもらった」

という気持ちが大きかった。

 

そんな気持ちでいられた間は

「会社に恩返しをしよう」

という前向きな気持ちがあった。

 

生きていくために仕事をしないといけない。

でも、このときはそれだけじゃなかった。